井野瑛太(いのえいた)のプロフィール

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当サイト管理人の井野瑛太(いのえいた)と申します。
現在、インターネットを活用したビジネスを営む起業家として活動しています。

以前は、公務員として、某都市にて勤務していました。

なぜ公務員になったかというと、
どうせ働くなら、世のため人のためになる仕事がいい
と思っていたのが理由です。
(「公務員=安定、楽」といったイメージから選んだのも少しはありましたが・・・
その期待は、後にことごとく裏切られることとなります。)

元公務員の起業家」と聞かれたら、
なぜ、安定している公務員という身分をわざわざ捨ててまで、、
独立起業したのかと思われるかもしれません。

その謎は、下記を読み進めていただければ解けます。

「誰だ?公務員が楽って言ったのは!?」

公務員として、某都市に就職後、退職して、ネットビジネスで起業するに至るまで
私は、2つの部署を経験してきました。

まず、1つめの部署が税金関係の部署でした。

就職して初めての部署ということもあり、
社会人としてのマナー等を覚えるのも大変な上、
税金に関する法律や制度というのは大変複雑なもので、
かなり苦労をしました。

税金に関する制度は、
とても一朝一夕で覚えられるようなものでありませんでした。
毎日頭から煙をだしながら、日々業務をこなしていたのを覚えています。

せっかく覚えても、法改正が頻繁にあり、その対応に追われ、
連日、帰宅が午前0時を回るようなこともザラで、
多い時には、月に200時間近い残業をしなければならないこともありました。

しかも、税金というのは、つまりは「お金」のハナシです。
お金のこととなれば、誰もが血相を変えます。
間違えるわけには絶対いかないという重圧もありました。

誰もがお金に関してはシビアですから、
窓口や電話、あるいは訪問先などで、怒鳴られることも頻繁にあったものです。

ちなみに、その時期を含め、公務員時代によく言われたフレーズがあります。
それは、
「誰がお前の税金払ってやってると思ってるんだ!」
という言葉です。

確かに、公務員としての給料は、市民・国民の税金から頂いていましたので、
そう言われるのはもっともではありましたが、そういう方に限って
税金を滞納されてたりすることがよくあるんですけどね(笑)

公務員としての業務は想像以上に厳しいもので
「誰だ?公務員が楽って言ったのは!?」
といつも思っていました。

そのような中、数年を過ごし、仕事に厳しい先輩方のご指導のお陰で、
一人前になり、仕事もうまく回るようになってきた矢先、
人事異動により、部署が変わることとなります。

「あれ?俺、転職したんだっけ!?」

2つ目の部署は、障害者支援に関わる部署でした。
これまでとはまったく畑違いの部署への配属で、
せっかく覚えた税金の知識もまったくと言っていいほど、役に立ちません。

地方自治体の人事異動は、まさに転職をするようなものです。
例外を除いて、数年ごとに、部署が変わります。
紙切れ一枚で、どんな部署へでも行かされるのです。

この部署では、前任と完全に入れ替わりで配属されましたので、
わからないことがあっても簡単に聞く相手がいません。
まるで転職したかのような、仕事の内容の変わり様にとまどいの連続でした。

しかも、障害者の方の人数は年々増える一方で、
制度改正も税金関係に負けないくらい頻繁にあり、
相変わらず、連日連夜の残業続きでした。

それどころか、この部署では、前の部署での記録を更新し、
徹夜をして、仕事をしなければならないことさえもありました。

しかしながら、障害者支援の部署では、税金関係の以前の部署とは
異なり、障害者の方のためのお役に立てているという実感を持てる
こともあり、やりがいはありました。

障害のために、まともに家事ができずにいて、
ゴミ屋敷と化していた一人暮らしの障害者のお宅がありました。

その方に対して、支援の手を入れたことにより、見違えたように綺麗になり、
目の輝きをとりもどしたあの笑顔は今でもよく覚えています。

障害者支援の現場で見た現実

障害者の方やそのご家族の方の取り巻かれる状況は大変なものです。

もちろん、障害の程度や障害の種類、援助される方の有無などにより
一概に言えるものではありませんが。

例えば、障害をお持ちの児童の親御さんは、母子家庭が多かったように思います。
おそらく、お子さんのことで家庭不和になり、離婚へと発展するのでしょう。
障害者への虐待やDV(家庭内暴力)に発展することさえあります。

ですが、実は、大変なのは、当事者やその家族だけではありません。

障害者施設の方とも仲良くなる機会も多かったのですが、
支援をする側である障害者施設の職員の賃金は多くの場合、相当低いです。
離職率も高く、施設職員は顔ぶれが変わることもよくありました。

障害者施設の職員の方で、障害を持ったご家族のいる方も何人も知っています。
仕事ですから、しかたがないことであるのですが、
本当は、人のお世話をしている状況ではないはずなのです。

これは、私の持論となっているのですが、
「支援する側の生活がうまく行っていないとよい支援などできない」
のです。

ここで、1つ例をだしますが、
飛行機に乗る際、フライトアテンダントが、
パラシュートの着用に関して説明をするときには
親子連れであれば、その親に対して、
「まず自分に」パラシュートを着用してから子供に着用するよう指導するといいます。

自分を顧みず、子供のためを思うのが親心かもしれませんが、
親がまず、安全を確保し、子供を守らないと本当の意味で、子供のためにならないのです。

これと同じことで、
まず自分の安全が確保されていないと
本当の意味で「人のため」になどなれないのです。

このことは、私自身にも言えることで、
障害者支援の仕事は大変やりがいのあるものでしたが、
連日連夜に渡る残業で、心身共に病んでしまいかねない状況でした。
職場の同僚のなかには、仕事の悩みを思いつめ、自殺した方さえいました。

私にも家族があり、自分の人生があるのです。
いくら人のためといっても、
家族との時間や自分の人生をあまりにも犠牲にするのは間違っているのです。

「人のためになりたい」

このように思って、志した公務員としての職でしたが、
次第に、この職場で公務員として、
働き続けることに疑問を感じるようになっていました。

東日本大震災支援での経験

そのような疑問を抱きながらも、惰性で働き続けていましたが、
公務員退職をより強く決意させる出来事がありました。

それが、東日本大震災の被災地支援に赴いた際の経験です。
かの震災の後には、自衛隊はもちろん、全国の地方自治体から、支援部隊が派遣されました。
私も勤務していた自治体から選ばれ、被災地に派遣されました。

震災発生後数日しか経っていない時期でしたので、
被災地の状況は、筆舌に尽くせない惨憺たる状況でした。

現地では、派遣先の被災自治体の職員の方と一緒に仕事をさせていただきましたが、
ある職員が言った言葉で、今も耳に残って忘れられない言葉があります。

「ちょっくら、身内の葬式にいってきます。そういえば、私も被災者でしたわ。はっはっは。」

当然といえば当然なのですが、私は大変ショックを受けました。
その自治体では、半数近くの住民が亡くなられていましたので、
当然それは被災自治体職員も例外ではないのです。

他にも、ご家族を震災でなくされながらも、果敢に陣頭指揮にあたった
ある被災自治体の市長もいらっしゃいました。
当時、マスコミにより報道され、その市長は賞賛を受けていました。

自分の身内が犠牲になっていながら、それを顧みず、他の被災者である住民を支援する
というのは、話としては、美しいです。
その職務に対する責任感は本当に賞賛されるべきものでしょう。

しかし、自分に当てはめて考えた時にそれをしたいかといえば、私は絶対に嫌です。

私は、家族が生き埋めになっている状況では、家族を探さずに放ってなどおけません。

自分や家族が住んでいる所が被災した際に、家族をかえりみず
勤め先の住民を支援する側に回らなければならない
公務員という立場が本当に嫌になりました。

この出来事をきっかけに、
公務員を辞めるという思いをより強めることとなったのです。

一念発起し、弁護士を目指す

公務員を辞めるという決意をした時に、
重くのしかかる課題がありました。

それは、
「公務員やめるのはいいけど、やめたあとどうすんの!?」
ということです。

公務員をやめてプー太郎でいられるほど裕福ではありません。
やはり、家族を養って食べていくためには、稼がないといけません。

通常は、どこかの民間企業に転職しようと考えます。
しかし、多くの民間企業の採用担当者が公務員転職者に対して

  ・楽な公務員も務まらなかった無能なやつ
  ・何か問題でも起こしたのか

というレッテルを貼ることは容易に想像できましたので、
普通に転職活動をするのは難しいと考えていました。

そこで、私は弁護士を目指すことにしたのです。

弁護士であれば、

  ・人のためになれる仕事である
  ・社会的ステータスも高い
  ・弁護士にならずとも司法試験に合格すれば能力の証明になり転職に有利

というメリットがあり、
「元公務員」というレッテルをはられた私でも、
退職し、次のステップを踏み出せるのではないかと考えたのです。

司法試験を受けるためには、下記の2つのルートがありました。
1.予備試験という競争率の高い試験に合格し、受験資格を得る
2.法科大学院(ロースクール)を卒業し、受験資格を得る

2.の方法は、公務員をすぐに辞めなければならず、
莫大な学費もかかるため、リスクが大きすぎました。

そこで、私は迷うことなく、1.の方法をとり、
公務員として働きながら、試験合格を目指すことにしました。

しかし、多忙な公務員としての業務をこなしながら、
勉強することは大変な困難を伴いました。

なんとか勉強するための時間を捻出するために、
朝6時に出勤して、始業時刻までの数時間、
音声教材を聞きながら、仕事をするようにしていました。

朝は、窓口対応や電話、同僚からの相談もなく、非常に仕事がはかどるため、
それほど、残業をせずにすむようになったのです。
そして、余裕の生じた帰宅後の時間も試験勉強の時間にあてました。

また、土日は両日とも司法試験対策予備校の講座をハシゴして受講しました。

これだけしましたが、試験で戦えるレベルまで到達できず、
能力の限界かと諦めようとしていました。

ネットビジネスとの出会い

ちょうど、そのようなときでした。

ある日、ネットサーフィンをしていて、
「ネットビジネスで月収100万円を稼ぐ元公務員」
のホームページに出会ったのです。

同じ元公務員ということもあり、気になった私は、
夢中になって、そのホームページを端から端までくまなく確認しました。

はじめは「なんかうさんくさいな」と思いながらも、
書いている内容や、その内容から伝わってくる人柄から
嘘などついていないと信じることが出来ました。

ネットビジネスは、パソコン1台さえあれば実施することができ、
他の実店舗経営などのビジネスと比べ、初期投資が殆どかからないのです。
しかも、起業という選択肢は、誰からに雇われるわけではなく、
まさに自分で自分を雇うようなものですから、
元公務員というレッテルなど関係ないのです。

パソコン1台あれば起業できるネットビジネスは
公務員をやめたあとにどうするかという課題のあった私にとっては、まさにうってつけの事業だったのです。

私はいてもたってもいられず、高額の授業料を払ってその人に弟子入りをしたのです。

その日から、司法試験対策の勉強にとってかわって、
ビジネスの勉強をするようになりました。

ビジネスの勉強は、司法試験の勉強よりはずっと簡単で
努力の末、なんとか独立してやっていけるというレベルまでこれました。

そして、ビジネスの実力をつけた上で、晴れて公務員を退職し、独立起業を果たすことができたのです。

現在の生活

家で好きなときに好きなだけ仕事をしています。

ですが、気分を変えたいときには、
お気に入りのカフェやホテルのラウンジ等好きな所で仕事をしています。

自由になる時間も公務員時代より多く取れるようになり、
家族と過ごす時間もたくさん取れるようになりました。

親孝行をするためにも時間をつかえるようになりました。

朝起きて出勤する必要がないのもありがたいです。
どこかへ出かけるときにも、混雑する休日等を避けることもできるのもいいですね。

雇われの身で給料を頂いていた公務員時代とは違って、
自分で稼いでいかないといけないというプレッシャーはありますが、
今の生活がとても気に入っています。

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